「忙しい」と言う人ほど自分で作業時間をムダに増やしている
「忙しい」が口癖の人は大体忙しくないです。
「忙しいマン」は大きく2つのタイプに分かれます。
承認欲求というかかまってちゃんというのか、人に自分の忙しさをアピールして尊敬してもらいたい人です。
そうでもしないと自分の価値の低さを直視することになり、耐えられないのです。
誰でも自分は人より優れていると思いたいものですからね。
30代になって「やなせたかしだって70才から開花したからまだ自分もいける」と思うのもそれです。
開花の下積みを10代、20代のころから続けたから70代で開花できたのであって、30才の時点で何も積み上げてないお前が開花することなんて一生あるわけないんですが、この手の人たちはそういう事実を直視すると鬱病になるか自殺せずにはいられないので必死で正当化しようとします。
でも実はこっちのタイプはそれほど問題じゃないです。なぜなら本当は忙しくないことを自分で分かってて言ってるから。
問題は本気で自分が忙しいと思ってる人。
非効率なまま必死にがんばってたり、自分がやらなくてもいいことを間違った責任感とか使命感で一人で背負ってたりします。
自分では本当に忙しいと思ってるので誇張してるつもりもないし、悪気もない。
時間は有限なので、人の分までやってたら時間がなくなるのは当然です。小学生でもわかりますよね。
でもこれを実際の仕事に置き換えると大人でもできてないことが多々あります。
「自分がやらなきゃ」と勝手に思い込んだり、
ムダなプライドが邪魔して頭を下げて人にお願いることができなかったり、
プライドはないけど人とコミュニケーションすること自体がストレスになるから自分でやったほうが早いと思っていたり、
お願いする前にその前提から説明しないといけない時間を考えると自分でやったほうが早いと思っていたりします。
ムダなプライドとかコミュニケーション自体を恐れるのは論外として、最後の考えは確かにその瞬間だけ見れば自分でやるより時間がかかるかもしれません。
でも、それも間違い。繰り返せばどんどん短縮され、得られる時間は積み上がっていきます。
眼の前の時間だけ見ているとこの中長期で得られるものが見えません。
1時間の作業があったとします。
自分でやれば当然1時間です。
人にお願いすると説明の時間が1時間、さらに作業自体も慣れた自分がやるより時間がかかる可能性があり、2時間かかるかもしれません。
自分でやれば1時間、頼むと3時間。
だったら自分でやったほうがいい、と考えるわけです。
が、それが間違い。
たとえ作業全体では3時間かかったとしても自分が使った時間は説明分の1時間だけですよね。
とすると自分でやっても1時間、人にまかせても1時間。この時点で横並びです。
そして、もっと大事なのは仕事というのは大抵同じようなことが2回、3回と繰り返すということ。
自分でやってたらいつまでたっても作業のたびに1時間消費させられます。
でも一度、人にお願いしたら2回目からは説明不要、少なくとも1回目よりは確実に短縮されます。
すると自分が消費する時間はどんどん少なくなっていきます。
こうやって得られる時間が積み上がるわけです。100回繰り返せば100時間の差ができます。
これが「時間を作る」ということです。
逆に言えば、この視点を持てず眼の前に来たら思考停止で「自分がやらなきゃ」とひたすら作業している人は永遠に自分の時間を消費させられっぱなしということです。
だからいつも「忙しい」んですよ。
悪気はなくてもこれは確実に「悪」です。
自分にかかってる人件費を無駄遣いしてるわけですから。
もちろんそれを管理できてない管理者、経営者も悪いのでその人だけが悪いわけじゃないですけどね。
がんばらなくていいところでがんばってるというのはサボってるのと同じです。
いや、むしろサボってるほうがまだマシです。
だってサボってる間は息抜きできてるわけですから。少なくとも疲弊はしないですよね。
でも間違った頑張りをしている人はサボってる人と同じようにムダな時間を消化した上で、さらにストレスや疲れも積み上げています。
「いや、お前自分で自分の首しめてるだけじゃん」って言いたくなります。
ブラック企業とかパワハラを擁護するつもりはありませんが、僕はそれらの中には上記のような「社員側が自分で勝手にブラック化している」ケースも少なくないと思っています。
この手の問題って痴漢とかと同じで基本弱者が絶対正義。上記のようなことが含まれていても社員が鬱病になったり訴えたり、自殺したりすれば会社側が10:0で絶対悪になります。
時間は与えられるものではなく作るもの。
本当に忙しい人はそれがわかっているので、「忙しい」とはまず言いません。時間を作れない自分に改善の余地があることがわかっているから、自分のやり方を改善すればいいだけであり、ぼやいても何も進展しないことがわかっているのです。
チームで作業をするときは、自分にしかできない作業をやるのが鉄則です。
言い換えれば、自分じゃなくてもできる作業は他の人に任せなければいけません。
「任せてもいい」ではなく「任せないといけない」です。
たとえ自分がやったほうが早くても、です。
この話が問題になる象徴的なことが今日ありました。
自社で作ったサイトで「相性」をテーマにしたページが「相性キーワードで評価されていないことを改善する施策を考えました。
最初にサイトを作っていたときから問題になっていたことですが、このサイトの各記事はすべて
hoge.com/123456/
のようにドメイン直下に通し番号で全部並列というURLになっています。
普通、分類ごとにディレクトリを切りますよね。
相性がテーマの記事は
hoge.com/aisyou/123456/
みたいに。
さらに言うなら通し番号みたいな何の情報もないものをページURLにするなというツッコミもありますが、自社の運営状況上、簡単に解決できない問題でもあるので、一旦そこはスルーします。
自分がプライベートで作るなら絶対やりませんが。
で、URLだけで意味が伝わりにくいのが評価されない一因ではないかということで相性がテーマなら/aisyou/の下に集めて「このサイトは相性についてこれだけのボリュームがありますよ」とGoogleに伝えようとなったわけです。
それをするためには対象となるページをリストアップする必要があります。
それを適用できる人は社内の限られたプログラマーにお願いしないといけません。
この時点で今回の作業は3つに分類できます。
・リストアップ担当者に作業を依頼する
・リストアップする
・リストアップしたものをプログラマーに依頼する
この3つです。
この中で僕は最初の作業をとりあえず済ませました。
そして、担当者も充分な速度で終わらせました。
最後のプログラマーに依頼する作業だけが残りました。
次の日になってもそれは誰も手を付けません。
僕がやったから僕が最後までやるものと思っていたようです。
それは確かに「ここまでやったのであとはお願いします」と引き継がなかった自分にも責任があります。
でも言わなくても各自が常にこれは念頭において各作業を進めないといちいち指示を待っていたらいつまでたっても進みません。
指示を出すのが管理者の仕事とは言え、それは管理者に依存しすぎです。
今回の作業をやることになった時点で「誰ができるのか」「誰がやったほうがいいのか」を元に作業を細分化し、細かく割り振らないと、「その人じゃないとできない作業」がどんどん後回しになります。
今回の例で言えば、プログラマーに依頼するのは誰でもできます。
なぜなら今回の施策についてはこのプログラマーには事前に相談済みなので、細かい説明はもう不要だからです。
できあがったリストを口頭なりメールなりで「例の件、リストできたので適用お願いします」というだけです。
必要なスキルは「日本語が話せる」ことだけ。メールで送るならタイピングスキルも一応必要ですね。
でもそんなの社会人なら誰でもできますよね。
少なくともIT業であるうちの会社の社員なら全員できます。できないと仕事になりません。
その誰でもできる仕事を僕にやらせようとしたわけです。
が、今回の件を包括する自社サイトのSEO的な見直しでサイトを直接編集するのはこのチームの中で僕しかできません。
つまりこれが「自分じゃないとできない作業」であり、僕はこれをやるべきなのです。
さらに他の案件で時間を取られていて、僕が担当のタスクがいつまでも消化されない日々が続いています。
チーム全体で共有しているタスクリストの中では優先度が高いのに僕が担当のタスクだけずっと残っているのです。
優先度が高いのに終わらないなら終わらせるためにどうすればいいか全員が考えないといけません。
すると自然と、僕じゃなくてもいい作業を他に分散させる発想になります。
なのに僕にやらせる。誰もやらない。
ここに悪気はない。
だから余計にタチが悪い。
自分の作業をやらせるなというのを自分で言ってるから傲慢に聞こえるかもしれませんが、今回たまたまその当事者が自分だったらそうなってるだけで、別に自分が偉いからそう言ってるわけじゃありません。
このタスクリストの上のほうで僕以外の誰かがつまっていたら僕はその人が持っている作業を取りに行きます。
ただし、「自分がやったほうがいい作業」を分別した上で。
その人がやったほうが良い作業はたとえつまっていてもその人にお願いします。